- ├ 私のトラウマ
- 2019-12-20
先日 何気なくFacebookに投稿した【私のトラウマ】という内容が
思いがけず反響が大きかったので、驚いています。
私の経験を通して、みなさんが
「自分も似たようなことがあった!」
「私の場合はこう感じた。こうだった」など
自分のことを振り返る機会になったのなら
それもある意味【自分と向き合う。自分を見つめる】
そんな作業とも言える行為なので
なにかしらの影響を与えることができてたのなら良かったな。と思いまして
同じ内容を補足して、ブログでもシェアしますね。
今後は【私のトラウマ】シリーズにして
ちょっとしたこともお伝えして行こうと思っています。
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服屋さんでスタッフから
「これ 今人気で皆さん買われていきますよ〜」とか言われると
めっちゃ心動いてた商品でも、サーっと気持ちが萎えて
「ぢゃぁ、いいです」ってなっちゃう人。それが私。
みんなが持ってるものはなんかイヤっていう感覚が
大人になってから強くなってきてたんですよね。
特にファッションや髪型などの
他人からも目につき易いモノに対してそれが顕著に現れるなって気づいたんです。
だからね、逆をいうと目につきにくいものなら、同じでも良いんです。
私の通ってるヨガは大手のスタジオだから、ヨガグッズも入会時に販売サービスがあって
右も左もみんな色違いのマット、ラグ、マット入れ などなど…
それがイヤでイヤで、自分でお気に入りを探してきては『人と違うモノ』を満足げにしてる私がいて。
私もユニクロで買うこともあるんですが
ヒートテックなどのインナー系は問題ないんです(笑
人気の着心地良いワンピースとか、めっちゃ便利なパーカーとかも持ってるんですが
それは他人から見える系なるので、得意のハンドメイドでちょっとカスタムして着るんです。
自分のこういう部分って、すごい些細なことだけど「なんでだろ〜?」っていつも思っていたんですよね。
なのでセルフセラピーで掘り下げてみたならば
やっぱり繋がるのは子供の頃の、ちょっと心がチクッとするイヤな思い出なんです。
うちは貧乏で(って聞かされてただけだから、本当は微妙なんですが)
上に姉兄もいたので、小学校で必要になる
習字セットや絵の具セット、裁縫セット、ピアニカ、リコーダー などなど
ぜぇーーーんぶ、お下がりが当たり前だったんです。
ひどい時は1つの物を共有してたりもありました。
周りを見渡すと、みんなは新品のモノで揃ってるのに
私のは4〜6年は型落ちの、ちょっと古めのもの
(年子だったら、そこまで型落ちでもなかっただろうにね…)
そんな古くさい、くたびれ感が漂うモノがどこか恥ずかしくて
「貧乏だから新しいの買ってもらえないんだ」って思われるのもイヤで
その記憶は私にとって
切ない気持ちとセットになってるトラウマのようなものなんです。
だからなんですよね。
今はその当時の反抗で
『私はみんなと同じモノなんか持たないもん!!』って意地張ってるみたいなもん。
人と違うことで傷ついてた私は
人と違うことを強みにしつつある今。
人と同じモノだろうが、心動いたモノならば
素直に手を伸ばしたいなと自然に思える日も近いような気もしています。
今回のように【悩み】とすら呼ばないような些細な事柄でも
ちょっとしたトラウマや、心がチクッとするような経験は
その人の生き方の至る所に影響を与えているんですよね。
私は今でも人と同じモノはイヤだけど
それでも変わった部分にもいくつか気づいてて。
当たり前なんだけど、今はお下がりなんかじゃないし
本当はこっちが欲しいのに、高いから似たようなモノで妥協するなんてこともなく
1番欲しいもの、本当に欲しいものを選んで手にしているという実感は私に
『子供の頃には得られなかった、欲しいものを手にした時の充足感』を与えてくれています。
1番欲しいもの、本当に欲しいものは
目に見えるモノだけじゃないんですよね。
行きたい場所に自由に行くことや
逢いたい人たちに逢って、繋がりを感じること
愛情や幸せや豊かさ。
そんな目には見えないものも、しっかりと手にして満足している私がいます。
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