人とつながる能力

  • 心理コラム

生きづらさや、行き詰まり感から解放された後
多くのクライアントさんが【人生で重要なテーマ2つ】を扱うようになってきます。


今日は2つめのテーマ『人と深くつながること』についてお伝えします。
1つめのテーマはこちらに記載

※この記事はメルマガでお伝えした内容をシェアしています。

バトゥール山サンライズトレッキング


生きづらさが解消され、過去が癒されたあと
未来へ向かって歩き出していくと
自身が取り組むテーマも、自ずと未来を創造するためのものへと変化していきます。


そのテーマが大きく分けると2つ。
人生で重要なテーマと言えば良いかな。

1つが、ここ最近私が口うるさく伝えているような内容。


自己実現。自分のやりたいことに向かってエネルギーを注ぎ、前に出ること。行動すること。そのための課題を乗り越える的なこと


もう1つが


人とさらに深くつながること


人間関係を今一度見直し、より深い関係を築いていく。
深く繋がり、交流し、そこで様々なものを交換し合う関係になるというか。


一般的に言われてたり、感じるような対人関係の悩みではなくて
もうちょっと違う、掘り下げるようなものという感じの『深いつながり』です。


この2つが、人生で重要度の高いテーマとして
セラピーの数を増してきた方が、取り組んでいる内容な気がしてます。

遠くに見えるのはアグン山
一昨年から度々噴火していますよね


前回のブログ では

【今の自分にできること】に取り組みながら、前へと進み
さらに大きな幸せや、達成感を味わい、充実した日々を過ごすことについて熱く語ったので
今日は【人と深くつながる】ことについてお伝えしますね。



これも先日の大阪出張で感じたことなんですが・・・

【今、自分の目の前にいる人とつながる能力って大事だよな】って、友人と関わってて感じたんです。



人と深くつながれないというのは、
そっくりそのまま『どこか満たされない感覚。埋まらない空洞を持ち続ける』ことを意味します。

漠然とした寂しさのようなものが常にあるという感じかなぁ。


人とのつながりを通して得られるものは【安心感や温かさ】です。

ほっくりと心が温かく癒されるような感覚で、自然と身体が緩み、暖まる。そんな感覚です。

それを『愛着』とも言うんですが。



そのほっくり温かい安心の感覚が、身体や心の深いところにジワジワ浸透し、たまっていくから
充足感とともに、安心感で満たされるんです。


それを私は「安心感の貯金」と言ったりもするんですが、その貯金があるから日々、心穏やかに安定して(気持ちにゆとりを持って)過ごせるし

たとえ一人ぼっちの時でさえ、闇雲に寂しさに振り回されたりはしないんです。


目の前にいる人と『つながる能力』って、
ある意味『つながる努力』とか『つながりたいと思ってるか(欲求があるか)』っていう表現もできると思うんだけど


最近では【つながりの切断に無自覚】な人も多いなぁと感じます。
(逆に出るとつながることに必死になるから、人と関わろうと、コンタクトを取り続けることに意識が向くので恋愛依存(関係依存)になったりしますね)

人と関わりたい、つながりたいとそもそもあまり思ってない。
だから、目の前にいる人とのつながりを切っている人、多いですよね。



これは無意識(心の中)で起こってることなので、本人でさえ、自分がつながりを切ってることに気づいてない場合がほとんどで

気づいてないけど、どこか満たされない感覚は感じるから、別のなにかとつながったり(スマホ依存とか)

物や食事やアルコールで一時的に満たされた気になったり(けど、本当に欲しいものは得られてないから満たされず、欲だけは高まっていく)


この場合、本人は【つながりの切断に無自覚】なんですが
この状態を側で関わる人(一緒にいる人)は気づくんですよね。

手前に見えるのがバトゥール湖
温泉が入れる施設もあるらしいです。


心理が知らなくても
「あっ、この人、私のこと見てくれてない」とか
「心ここに在らずだな」とか、そういった微細なニュアンスを身体の感覚で察知するんです。

その感覚がある意味、【人とつながってないときの感覚】です。



このような相手が恋愛相手だった場合、一緒にいる人には寂しさが募っていくんですよね。


だけど、それを上手く伝えることできないし
伝えたところで相手は無自覚だから理解はしてもらえないし。


なにをどう伝えても、のれんに腕押し状態で徒労に終わるかと思います。
(これ、やっぱり自分で気づかない限り、改善できないからね)


そもそもつながる気がない人を相手に
【つながろうと一生懸命になる】ことって無駄な労力な気がするので

今の私はそういう人と関わるときは
適度な距離感でそっとしておく・見守るだけなんですが、昔は違いました。


『人は元々、つながりたいと思わない人はいない』が前提なんですが


つながりの切断が起こってる人にも
そうなった原因は必ずあるし

フとしたときに人を求める
『つながりたい』という欲求が現れてることに、敏感に気づいたり

相手の心の傷や生い立ちや、痛みなどを垣間見ることがあると
どこか「この人を理解できるのは私だけ」という感覚になって、やっぱり頑張っちゃうんですよね。


それがただの友人という関係でなくて、好きな人だったら尚更ですよね。

だけど、それがある意味、お互いの強化行動になってるんですよね。


何度も言いますが、そもそも相手は【現段階では】人とつながる気がない人。つながりの切断に無自覚な人なんだから
頑張ったところで上手くはいかないんです。


自分がもう少し頑張ったらなんとかなるんじゃないかと、頑張りの方向性を間違えてると

望んだように相手が心を開いてくれるどころかむしろ、相手からちょっとウザがられたりしちゃうんですよね。
(恋愛ドラマとかだとね、相手も心を開いてくれてハッピーエンドみたいなの多いけど、現実はちょっと違うんです)



「ほっといて欲しいなぁ」
「やっぱり一人の方がラクだなぁ」
なんて思われて、さらに壁が分厚く高くなっていくことも。



それが態度にめっちゃ出てるから、不安になってさらにアレコレ聞いたりしちゃうけど

「そんなことないよ」とか「怒ってないよ(ウザいと思ってないよ)」とかの社交辞令で流されて
どこか納得のいかないまま相手の言葉をより所にするしかなく・・・

(相手に聞けるならまだマシな方で、ほとんどの方が、不安が募るだけで相手には聞けないものですよね)


このような経験、ないですか?


なんかアレですよね。


思春期の頃とか、親に少し心閉ざしてるのにも関わらず
閉ざされたことが心配な親が一生懸命関わろうとしてくる。

それが余計にウザく感じて、ますます閉ざすみたいな感じ。。。



これ、多くの人が両方のポジションを経験してるものなんです。
(だけど何度も言うように、自分が閉ざしてるときは無自覚なことが多いので気づいてない)


2人で交互に役割交換して、自分が求めるときは相手はよそを向いてて
相手が向いてくれたとき、今度は自分がよそ向いてるなどのように、追いかけっこの恋愛みたいなやり方をしてる人もいますよね。



人は人とのつながりを求めるもの

これは真実です。


だけども、人とつながるには相手もいることなので
相手の状況・状態など都合もあります。



人とつながりたいという自分の欲求に気づき、相手を見るときに


相手の中にも【今、目の前の人とつながろう・関わろう】という意志や欲求があるのかどうかを見極めることも大切です。

言葉ではなんとでも言えるので、その時信頼できるのは自分の体感です。


自分の中の【愛着】を主とする、人間関係での問題が解決していない人は

つながる気がない人相手に
つながろうと一生懸命頑張って
自分の傷を深めるという強化行動を取ることが多いです。



人生で重要なテーマを扱うごとに、愛着にまつわる「人との関わり方」が表面化するのは当然と言えば当然な流れ。


それは恋愛などのパートナーシップだけでなく
フレンドシップなども含め、広い範囲での人間関係を意味しています。

心安らぐ、温かい自分の居場所は大切ですもんね❤


自分癒やしが深まり、人と深くつながれるようになってきたとき
自ずと、目の前にいる人との関わり方にも変化が現れてきます。


その時にあなたが、どんな表情で、どんなことを味わいながら、そこに存在するのか楽しみですね♪


そして私も人と深く関わりたい人の1人です^ ^


ここ数年は私の中でも、だいぶ【人とつながる能力】が育ってきたのかなぁなんて感じることが増えてきました。

人はいくつからでも変われるし、成長するもんですよね♪